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世界遺産フレーザー島

世界遺産(せかいいさん)とは、1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて、世界遺産リストに登録された世界中の文化的、自然的に顕著で普遍的な価値のある人類の共通の宝物で、大切に守られ次世代に伝えていかなくてはならないものです。
世界遺産フレーザー島

フレーザー島は、その自然の価値が評価され1992年にユネスコによって世界遺産に登録されました。公式の引用文によれば、“長さ250キロ以上もの砂浜、手付かずの海岸と40キロ以上続くカラーサンドの崖、そして壮大な砂丘の盛り上がり、波の打ち寄せる海岸、やせた砂の上に生育した驚くほど高い降雨林、透き通った”白く見える湖“とにごって”黒く見える湖“を含む砂のくぼみに出来た湖、バンクシアの森、ヒース地帯、図案のような湿地帯や雨風から守られたマングローブ地帯などが見ごたえのたるモザイク模様のように存在している”と称し、フレーザー島の“類まれな自然の美しさ”を賞賛しています。

フレーザー島は、地質学上の推移や生態学的進化という点において世界的に重要な実例となっています。たとえば、複雑な砂丘の形成が現在も続いていること、島の湖がその数、生物多様性、年齢から見てもきわめて特異であり、ダイナミックな発生の段階を示す証拠となっていること、海から受ける影響や沿岸の砂丘地帯の乏しい土壌といった環境に適応しながら発達してきたという類まれな生態系の例としても、すべてがユニークな例となっています。

島の歴史

フレーザー島地図

何千年もの間、世界最大の砂の島は、先住民アボリジニのバッチュラ族(Butchulla People)から「K‘Gari」ガリ(又はグリ)と呼ばれていました。バッチュラ語で「K’Gari」(ガリ)とはパラダイスを意味しました。

その後1836年にジェームス・フレーザー(James Fraser)船長に率いられた帆船ステアリング・キャッスル号(Stirling Castle)が難破し、その生存者グループが島の海岸線にたどり着きました。その後の出来事は、難破船で島にたどり着いた人々がアボリジニに虐待され、平穏だった島を世界的に悪評高くする事になりました。(白人による説で事実ではない)
そして結局、フレーザー島艦長と乗組員の墓を探しにやってきた探検家のアンドリューペイトリーがフレーザー船長と唯一の生存者であった妻、イライザ・フレーザーにちなんでフレーザー島と呼んだ事から、以降“フレーザー島と呼ばれるようになりました。

アボリジニの歴史

島でのヨーロッパ人の行動は伝統的なアボリジニの生活を非常に混乱させ、マリボロー(Maryborough) 付近の地域に移住が行われた1850年代には、移住者とアボリジニの人々の間で悲惨な戦争が起こりました。この戦いの間に多くのアボリジニが亡くなり、又それに続く何年かで、白人が持ち込んだ病気が原因でさらに多くの人々が死亡しました。

1870年に初めてフレーザー島でアボリジニの為の居住区が設立されましたが、1893年には閉鎖されています。1897年に南部地域のアボリジニ保護者アーチボルド・メストンが2度目の居住区を開設しましたが、彼の試みは不成功に終わり、1904年には取りやめとなりました。島内のアボリジニの人々は北部クィーンズランドにあるヤラバ・ミッションへと移されていきました。 (白人による)居住開始から2度目の居住区を閉鎖するまでの約50年の間に、フレーザー島に住むバッチュラ族のアボリジニの人口は2,000〜3,000人から20人に激変しました。

今日では、かつてはこの砂の固まりを家と呼んだアボリジニの人々の形跡を殆ど見ることができません。カヌーを掘った跡のある木や、貝を食べた後の貝殻の堆積を見つける程度です。貝は彼らにとって貴重な食料の一つでした。

初めてのヨーロッパ人

初めてフレーザー島を発見したヨーロッパ人は、1770年のキャプテン・ジェームス・クック(Captain James Cook)でした。 島の北東にある崖、「インディアン・ヘッド」(Indian Head)にいるアボリジニを航海中の船から見た彼は、黒くてインディアンが沢山いると思ったようでインディアンヘッドと名づけました。 また「サンディ・ケープ」(Sandy Cape)は、2つの大きなサンド・ブローがあった為こう名付けたそうです。彼はフレーザー島は大陸の岬だと思っていました。

島の地理

※用語の注意:「  」はフレーザー島内の地名、“  ”は物質、現象、動植物等の名称です。

白い砂丘

世界最大の砂の島フレーザーは、長さ123Km、平均15Km(最大幅22Km)の島です。

フレーザー島の水面下での延長部分である「ブレイクシー・スピット」(Breaksea Spit)は「サンディ・ケープ」(Sandy Cape)から北東に45Kmも伸びています。島の殆ど全てが砂で成りたっており、何十億トンもの砂は244mの高さにも至る壮大な砂丘を形成しています。

地質

平均最高気温は、冬…22℃・夏…29℃です。この島で吹く風は主に南東の風で、夏は北西の風です。これらの風は島の東側海岸線部分を継続的に造り上げる自然の作用を助けています。

地質

「フレーザー島はその殆どが砂で形成されていますが、東海岸の「インディアン・ヘッド」(Indian Head)「ウァディー・ポイント」(Waddy Point) 「ミドル・ロックス」(Middle Rocks)及び西海岸の「ブンブン・ロックス」(Bun-Bun Rocks)でのみ火山岩の露出による 岩石が見られます。 "ティーワ・サンズ"(Teewah Sands)は"クールーラ・カラード・サンズ"(Cooloola Coloured Sands)と同様に色の付いた砂で泥や粘土を含んで固まったものです。「ピナクルズ」(Pinnacles) 「カセドラルズ」(Cathedrals)における壮観な侵食の様子とその色は"ティーワ・サンズ"によって形成されたものです。オレンジや赤色のカラーサンドは鉄の酸化により、黒はルータイル、ジルコン、イルナメイトと呼ばれるミネラルにより色付けられています。 地質

島の形成

ノース・ストラッドブローク島、モートン島のカルーラ・ビーチ(フレーザー島より南の東海岸線地域に所在)の砂の集積と同様にフレーザー島はグレート・ディバイディング山脈(南東QLD の内陸部)の岩が侵食された砂で形成されているとされていました。それが最近の研究によって、その成分から、もともとの砂は古くは南極大陸から運ばれてきたと考えられています。
これらのミネラル分を多く含んだ砂は、NSW州やQLD州の南部の川から海へと流れていき、やがては海流や波がこれらの沈殿物を徐々に海岸に沿って北へ動かしました。この動きを“Longshore Transportation”(長距離海岸輸送)といい、今日も続いています。北へ向かうこの砂の動きは、岬によってせき止められ、累積して砂浜を形成していきます。砂浜からの飛砂は、満潮時でも波の届かない所まで風によって吹き飛ばされ砂丘を造り始めます。植物の成長が砂丘を固定させ、砂丘から吹き飛ばされた砂を更に捕まえ、砂丘の高さを増していきます。

「サンドブロー」(Sand Blow)

サンドブロー 「Stonetool Sandblow」(ストーンツール・サンドブロー)などがよい例です。
強風や異常に乾いた気候の状況下では、植物は砂丘を固定することができず、サンド・ブローが形成されます。砂浜の砂が継続的にそのブローの頂上部分へ吹き上げられ、風下の方に落下します。このようにして、サンド・ブローは前進し、その前方に砂を堆積させ、その通り路にある草木や他の砂丘を覆い隠してしまいます。
地表は古い砂丘の上に積もった新しい砂丘として盛り上がります。これは飛ばされる砂がなくなり、植物がサンド・ブローを囲い込むまで続きます。
今も島の東海岸の25ケ所以上で活動中のサンド・ブローが存在しますが、以前ほど前進速度は速くありません。

島の水

島の大量の砂は巨大なスポンジの役割をしています。多くの雨水が砂に浸透してドーム型の地下水層に蓄えられます。所々で大量の水が砂丘より染み出て、小川になっています。東海岸ではよく見られます。(Eli Creekなどもそのひとつ) また、水は湖や海へもしみ出ています。たくさんの淡水の湧き水を東海岸で見ることができます。
フレーザー島には40を超える美しい湖があり、水晶のように透明な湖、また赤みがかった色の湖、あるいは茶褐色の湖などそれぞれ違った表情を持っています。

また、湖の出来方から3つのタイプに大別することができます。

Type01: 「ウィンドー・レイク」(Window Lake)

ウィンドー・レイク ウィンドー・レイクやその他の沼は地下水面が地面よりも高くなっている所にできます。これらの湖や沼では、地下水面がその水量により上下すると、水面の高さも動きます。
リゾートの宿泊棟の前の池のようになっているのもこのタイプのものです。

Type02: 「パーチド・レイク」(Perched Lake)

パーチド・レイク 真っ白なシリカサンドとコバルトブルーが美しいマッケンジー湖(Lake McKenzie)やベイジン湖(Basin Lake)等がこのタイプです。
パーチド・レイクは砂丘と砂丘の間のくぼみで、皿状の堅い砂の層が形成された場所にできます。この堅い砂の層(コーヒーロックと呼ぶ)は、腐った植物と鉄の粒子が砂を固める結果、出来上がります。 雨水はこれらの水はけの悪いくぼみの上に溜まり、非常にゆっくりとしか漏れていきません。こうして地下水層よりもずっと高い砂の上にパーチド・レイクができます。
フレーザー島には世界最大のパーチッド・レイク、「ブーマンジン湖」(Lake Boomanjin)があり面積は約190haです。

Type03: 「バラージ・レイク」(Barrage Lake)

バラージ・レイク 「せき止め湖」と言われるこの湖の代表は、ウォビー湖(Lake Wabby)です。
かつては小川だったところが、砂の動きによってせき止められて湖を形成しました。砂の動きはそのまた湖をも侵食し続け、いずれは砂の中に消えていきます。もちろんこれは憶の単位の時の流れが必要です。

「イーライ・クリーク」(Eli Creek)

イーライ・クリーク イーライ・クリークは、島内で最大のクリーク(小川)で東海岸に流れ出ています。島の内部約5kmの地点に端を発し、1時間に450万リットルの放水量が計測されています。
小川沿いにはボード・ウォーク(木道の散策ルート)があり、周囲をおよそ15分ほどで散策できます。また、夏場は冷たい小川の湧き水で泳いだりするのも気持ちがよく、人気の場所となっています。
東海岸沿いにはおよそ50以上の小さな川が海へ流れ出ています。島から流れ出るこれらの小川もフレーザー島内部に蓄えられた水量に大きな変化を与えるものではなく、フレーザー島がいかに大量の水を蓄えているかがお分かりいただけるでしょう。

島の産業

※用語の注意:「 」はフレーザー島内の地名、“ ”は物質、現象、動植物等の名称です。

木材産業

1863年に、カウリパインの丸太(Kauri Logs)が初めて本土に船で運ばれ林業が始まりましたが、1864年にジョン・ピゴットがアボリジニによりなぐり殺されたことにより、フレーザー島の木材産業は一時的に衰退しました。彼の悲惨な死に方の為、以来1868年までフレーザー島ではメジャーな伐採業は行われませんでした。
その後、西海岸の「ワングールバ・クリーク」(Wanggoolba)付近で伐採業が始まり、徐々に島内の降雨林地域へと広がっていきました。"フープ・パイン"(Hoop Pine) "カウリ・パイン"(Kauri Pine) "ホワイト・ビーチ"(White Beech)が最も伐採のターゲットにされた木でした。
1913年、最初の林業用キャンプが「ボギンバ・クリーク」(Bogimbah Creek)に設営され、1916年には「ワングールバ・クリーク」(Wanggoolba Creek)の河口にキャンプを移動しました。多くの蚊やサンド・フライ(ブヨ)、また痩せた土壌等の悪状況の為、キャンプは1920年、海岸より10km内陸に入った「セントラル・ステーション」(Central Station)へ再び移動しました。このキャンプは現在、クィーンズランド州立公園ワイルドライフ・サービス(QPWS)により使われ、レンジャーの事務所が設置されています。 また、キャンプ客用の施設やフレーザー島の歴史を知るための案内板などもあって、フレーザー島の代表的な観光スポットとなっています。
木材産業
木材産業

1918年シドニーのH.マッケンジー会社が4000haの土地における10年間の権利を買い取り、即座に「ノース・ホワイト・クリフ」(North White Cliffs)に最初で最後の木材工場を建てました。それは現在のキングフィッシャーベイリゾート&ヴィレッジから僅か2km 南へ行った場所です。
1925年までに工場は不要となり、マッケンジー社は工場を売りに出しました。工場の設備は競売にかけられ、蒸気機関車、路面電車の線路や波止場は林業協会に買われ、蒸気機関車はその後10年間運行されました。 フレーザー島には島の中心部から西海岸へ木材を運ぶ為に、何本もの路面電車路線が造られました。その西海岸から丸太をハービーベイに渡し、本土側の製材所に運ばれました。
現在観光で使用している砂の道はすべて、林業で使われていた道を再利用しています。 1925年頃、以前は伐採されなかった"サティネー"(または"ターペンタイン")が30mを超える真っ直ぐな幹を有し、海洋生物の侵食に強いということで世界的に有名になりました。フレーザー島の"サティネー"はスエズ運河の側壁に使用されました。
フレーザー島での木材伐採は、環境に対する取り組みから1992年12月の世界遺産指定の前の1991年11月に完全に終了しました。

マヒノ(Maheno)

「マヒノ」は豪華な蒸気客船で、400人以上の人を運ぶことができました。1905年にスコットランドでニュージランドの会社の為に造られ、オーストラリア、ニュージーランドとカナダの間をを航海していました。「マヒノ」は最高速度17.5ノットの非常に速い船で、幾つかの最高速度の記録を持っていました。その一つは、オークランド−シドニー間を3日以内で航海したもので、この記録は25年間保持されました。
第1次世界対戦中、「マヒノ」は海軍の病院船として改造されイギリス、エジプトとオーストラリア間を航海しました。戦後、「マヒノ」は再び豪華客船としてオーストラリア−ニュージーランド間を航海していましたが、1935年には「マヒノ」よりも大きく、速い客船が運航を始めた為、「マヒノ」の運航は終了しました。
その後、「マヒノ」はそれより小さい「オーナ」という船と一緒に、日本の会社に買却されました。2艘の船は「オーナ」が「マヒノ」を牽引する形で日本へ出発しました。1935年7月8日、フレーザー島沿いを航海していた2艘の船は悪天のため「マヒノ」を牽引していたチェーンが切れ、「マヒノ」は浜辺に打ち上げられ、停止しました。「マヒノ」には8人の日本人船員が乗っていましたが、船がフレーザー島のビーチにたどり着くまで無事でした。船はビーチに打ち寄せられると修理不可能な程のダメージを受け、船の引き上げ作業もあえて行われませんでした。 第2次世界対戦中、「マヒノ」はオーストラリアの空軍・海軍の標的を定める練習に使われました。 船の周りのビーチにあった破裂弾が「セントラル・ステーション」(Central Station)で今も保管されています。
マヒノ

ご注意

「マヒノ」難破船には今も砂に埋まった3つの甲板があります。難破船は極度に錆びてもろくなっています。船の上を歩いたり、登ったりする事は非常に危険ですので、絶対におやめください。難破船見物は砂浜からのみ行って下さい。

観光業

1934年、「ハッピー・ヴァレー・リゾート」(Happy Valley Resort)が設立され、フレーザー島に観光業が進出しました。 事業は2年後に終了しましたが、同じ名前を使った他のリゾートがオープンしたのは1950年のことです。
1963年には「マールー湾」(Marloo Bay)の「オーキッド・ビーチ・リゾート」(Orchid Beach Resort)と「ユロング・リゾート」(Eurong Resort)が共に設立され、フレーザー島の観光業は活気を帯びてきました。
そして、1992年7月には西海岸に「キングフィッシャーベイ・リゾート&ヴィレッジ」(Kingfisher Bay Resort & Village)がオープンし、環境に配慮したエコリゾートとして開業。 また、フレーザー島をまわる各種エコツアー、ホェールウォッチングツアーなど、訪問者への環境教育も兼ねたプログラムを提供しており、フレーザー島観光のベースキャンプとして現在、国内外からの観光客に利用されています。
また観光業を通じて利用者にも楽しんでもらいながら、自然環境を守っていく大型のエコリゾートの草分けとして、オープン以来国内外のいくつもの環境観光賞、エコツーリズム賞などを受賞し、高い評価を得ています。

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